syura_motorcar.jpg (51951 バイト) 修羅の鬼淵トラスモジュール製作記 01

 いやーーこんなものがホンマにできるんやろかーー???

鬼淵タイプ・モジュールの設

kiso_truss_design00.jpg (57356 バイト) ■鬼淵橋梁 の説明

『大鹿のアーチ橋とともに、ここで多くの名作鉄道写真が撮影されました。ナローの森林鉄道としてはかなり大きな構造物ですが、本拠地上松駅の直近でしかも幹線である王滝本線と小川線がこの橋の西側で分岐することを考えると、この鉄道にとってもっとも重要な橋梁であることがわかります。数年前に新しい道路橋が開通した後に取り壊される予定でしたが、大正時代に建造されたこの橋、地元の熱意により文化財として残りました。

ちなみにこの橋と小川線にある小田野橋(工業専門学校横の今も現存)を請け負ったのは、横河民輔という人が興した東京の横河橋梁製作所というところで、現在も横河ブリッジ鰍ニして健在であります。この名にピンときたあんたは偉い!横河民輔さんは明治から大正にかけて鋼材を使った建築で名をはせた建築家であり実業家。マルチな才能を活かし横河電機鰍ニいう会社も創立しております。』

■なんてーーことを前に「木曽の基礎」なんて人食ったようなタイトルで紹介しましたけれど、横河ブリッジさんから、何もリアクションなかった。ともかく民輔さんの本業は日本の鉄骨建築の草分けで、昔の帝国劇場や銀座三越もこの人の作品として有名です。

■取り壊しは免れたもののご覧のようにサビが表面に粉吹いている状態。観察すればするほど複雑な構造ででかい橋。最初はKibriのトラスでも使ってお茶濁したモジュールをつくろうなどとお気楽に考えていましたが、結局自作することを決意しました。

kiso_truss_design01.jpg (52451 バイト) ■話をこの橋に戻すと、タイプ的に線路位置から下路トラス、トラス構造は明治期の国鉄標準型ともいえるプラットトラス、形態の分類としては「パーカートラス」という曲弦トラスの一種だそうです。

■ともかくまず、だいたいのサイズの測定。左上の画像はフォトショップのものさしツールを使ってモデルワーゲンのページの「もりこーの木曽路日記」から巻本さんのアルバムの側面写真で酒井10トンとの比を出して長さやトラス材の比をにあたりをつけ、その寸法で平田さんのアルバムの前面写真から幅や細かいところの寸法を測定し、全体のバランスの比を出すことから始めました。

■「もりこーの木曽路日記」がなかったら鬼淵をやろうとしていたかどうか?それほど貴重な写真が満載で、西さんの「木曽谷の森林鉄道」とともに木曽モジュール倶楽部のバイブルといえるほど、いろいろな画像情報を網羅しています。特に平田さんのアルバムの鬼淵側から撮った写真は非常に参考になりました。改めて「もりこーの木曽路日記」はモデルワーゲンのページからどうぞ!

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■右下は場所は違いますが、上松でひたすらメジャーを当てる修羅の姿(岩崎れいる妻さん撮影)。実物の鬼淵の上弦トラスの間の幅は3.9メートルでしたので、87で4.5センチ。トラス材に使う材料のことを考えて少し広めにとり幅を5センチと決定。

■あとはバランスを考えながら側面図、およびモジュール全体図を作成。長さ120センチに入れるためにトラス全体を1割弱縮小したのと中央トラスに上松側に続くデッキ・トラス上路橋の支間数を5から4にぶった切りました。(下の図)

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