赤沢保存車輛図鑑


▲記念館前のヤードに屯する保存機関車たち。左からNo.93(酒井5t)、No.1(BLW10t B1リアタンク)、No.131(酒井5t)。
まだ酒井の5tによって営業運転を行っていたころのひとコマである。 1992.8.29
  
   

曽の森林鉄道で活躍した車輛たちは、いまなお木曽谷の随所に、そしてときには、何のゆかりのない土地にすら保存されているのを目にすることができる。しかし、メッカ的な存在は、なんといっても赤沢自然休養林の森林鉄道記念館であろう。
 森林鉄道記念館は、木曽の林鉄全廃からまもない1978年に設置され、各種車輛を搬入・保存すると同時に、かつての小川森林鉄道・赤沢支線の廃軌道敷(丸山渡線・ウルシ沢線)を利用した延長1.73kmの保存線が敷設された。
 さらに、1987年より保存線のうち記念館―丸山渡間の1.17kmにおいて、春〜秋シーズンの営業運転(と書くと実際には語弊があるが、本稿では便宜上そう記す)を開始、今では木曽谷随一の観光名所として認知されるに到っている。
 渓谷美が楽しめる保存線のDL列車の魅力もさることながら、静態保存車も木曽谷の代表的な車輛がまんべんなく集められており、好き者にはたまらないスポットとなっている。
 ここでは、2003年6月時点での写真を中心に、赤沢に存在するすべての保存車についてご紹介してゆきたい。

photo &text:諜邪丸(特記以外)/写真協力:KMC各位

★一部の解説と細部写真のページは準備中です。あしからず御了承下さい<(_ _)>。


蒸機内燃機モーターカー客車貨車営業運転用車輛


(1)<動力車>
    
蒸気機関車

■No.1(旧番No.2) 10t B1型リアタンク機関車
(米 Baldwin 1915)


▲2003.5.11


ある意味“きそしん”の象徴といっても過言ではない、ボールドウィン製の10tリアタンク機関車。木曽谷に導入された10輛のBLWのなかでは、トップナンバーにして唯一国内に残る機体である。
 遠心分離式の火の粉止め煙突を装着した、ファンの間でいうところの“後期型”スタイルだが、コールバンカーの増炭囲いが撤去されている点が現役時代と大きく異なる。また、BLW社における製番は“41997”なれど、煙室右側の製造銘板は、どういうわけか新番10号機の“60874”が貼られている。
 このBLW、屋内保存ではあるが、保存線の営業日で、週末・休日の好天時には庫外に引き出される。白日のもとでその雄姿を拝めるのは嬉しいことだ。

→細部写真
 



内燃機関車

■No.122 10t B型ディーゼル機関車
(局形式DBT10 酒井工作所C4型 1958)


▲2003.6.28


上記のボールドウィンに代わって、王滝・小川線系統の本線運材の主力をつとめたのが、この酒井工作所製C4型10t機である。後述のF型とくらべれば、L型車体・2軸チェン駆動とコンベンショナルな構造だったが、通常のL型機の逆位を正位としたキャブフォワード・スタイルとし、製造当時の流行の湘南型前面を取り入れたデザインが最大の特色であった。
 このタイプは1958〜1963年にかけて計7輛が導入されたが、赤沢に保存されているNo.122はそのトップナンバーに当たる。
 記念館の屋内保管のため、状態は良い。

→細部写真
 


■No.136 10t B-B型ボギーディーゼル機関車
(局形式DDT10  酒井工作所F4型  1956)


▲2003.6.28


酒井工作所が森林鉄道用として開発に意欲的に取り組んだのが、2軸ボギー式のF型と呼ばれるディーゼル機関車であった。
 ボギーとすることで、大型のエンジンを搭載しながらも軸重が軽減され、カーブにも強く、線路規格の低い森林鉄道に適するというのがセリング・ポイント。5t〜10tのバリエーションがあり、全国各地の森林鉄道に導入実績があるが、機構の複雑さがその泣き所で、木曽においてはそれが嫌われたためか主力とはなりえなかった。
 そんな中、木曽で唯一廃止まで姿を留めたのが、F4型(10t機)のNo.136である。もともとは札幌営林局(芦別営林署)の所属機だったが、1962年に転入してきたもの。10t機とはいえ、全体的には非常に小柄で、車体断面の大きい客車を連ねると独特のアンバランスぶりをみせる。
 屋内保存のため状態はよいものの、上の写真のように、片側のヘッドライトが失われてしまっているのが惜しい。

→細部写真
 


■No.86(旧番No101) 5t B型ディーゼル機関車
(局形式GB5→DB5 酒井工作所A型  1950)


▲2003.5.11
 

→細部写真
 


■No.93(旧番No108) 5t B型ディーゼル機関車
(局形式GB5→DB5 酒井工作所A型 1951)


▲2003.6.28
 


▲1992.8.29
 

→細部写真
 


■No.131 5t B型ディーゼル機関車
(局形式DB5 酒井工作所A型 1960)


▲2003.6.28
 


▲1989.8.27
 

→細部写真

  
  
木曽谷の機関車のフラッグシップに相当するのはBLWやC4型DLであるが、かたや低規格の支線区や小運転、入換に戦前より幅広く活躍したのが、4〜5tクラスの内燃機関車であった。中でも最大勢力を占めたのが、酒井工作所製のA型と称される鋳物台枠機で、その数は木曽谷に導入されたのべ150輛余りの内燃機関車のうち、じつに70輛近くに及ぶ。まさに、木曽谷の隠れた主役といっても過言ではないだろう。
 赤沢におけるこのグループの保存機は、上記にお目にかけたNo.86・93・131の3輛である。3輛とも細部のディテールは異なるが、大まかに分けると、86・93と131では側台枠及びキャブの様式が異なり、また前者はもとガソリンエンジン搭載車、後者は製造当初からディーゼルである。塗色はいずれもクリーム+マルーンの上松運輸色を纏うが、現役時代はそれぞれ異なる擢であった(86号機:淡緑+マルーン、93号機:黄+マルーン、131号機:淡緑+黒)。
 3輛とも、そもそもは動態機として'87年の保存線開業以来その営業運転に充当されていたが、老朽化と保守部品の枯渇といった問題があり、1996年には北陸重機製の新車・AFT-01が導入されたため、一線を退いている。
 2003年当時は、86号機がBLWを庫から引き出すために使われていた(→動画)が、その後AFT-02が導入されたことで車庫がスペース不足となり、93号機と131号機は丸山渡の分岐に追いやられて雨曝しとなってしまっている(▼2012.7.28)


 



モーターカー

■No.5 大型モーターカー
(局形式GB1.5 酒井工作所 1950)


▲2003.6.28
 

→細部写真
 


■No.64 小型モーターカー
(局形式LM5A 岩崎レール工業  1962)


▲めすらしく庫の外に顔を出したときの一枚。 P:四ッ澤さん


▲普段は貴賓車との間に押し込められている。 2003.5.11
 

→細部写真

 
 
巡察や保線、小規模な要員の輸送などに用いられるモーターカーは、木曽谷にも多数存在したが、現在赤沢には2輛が保存されている。
 No.5は大型の部類に属し、その独特のスタイルから“冷蔵庫”の渾名がある。酒井工作所製だが、改造で原型とは似ても似つかぬ車体に載せ替えられたのが現在の姿。他に同型の車体を持つものとしてNo.20・55があり、前者は木祖村の郷土館にて保存されている。
 小型に属するNo.64は、モーターカーとしてはけっして最小クラスではないものの、他の車輛と見比べてしまうとじつに小さい。岩崎レールのレディメイド品で、屋根がホロ張りのオープンタイプ。写真では外されていて見えないが、サイドには雨風をしのぐための窓つきホロを装着できる。


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